※2年前の事になりますが、当時書き留めていた日記を元にようやく掲載となりました。
LAで濃い数日間を過ごした後、いよいよ世界大会が開かれるグアテマラへ出発することになった。 LAのメッセンジャーたちと過ごしたドタバタ数日間についてのブログはこちら

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Day01
01

以前のブログにも書いたが、実は家にお財布を忘れてきてしまい、ポケットに入っていた1万円だけで過ごす羽目になったわけだが、何とか一応やってこられた。
しかし、この先も大丈夫か?
ロサンジェルス空港での全財産は103ドル。
Tシャツを売って頑張ったが全然足りない。念のためもあるので、40ドルを財布に残して60ドルをケツァル(グアテマラの通貨)に換金しようと差し出すと、窓口のお姉さんに「少な過ぎるからダメ」と言われた。
「何日滞在するの?」
「1週間」
「じゃあ最低でも200ドルは換えた方がいいわ」
「・・・(こりゃ困った。200ドルも持ってないよ。)」
「じゃあ~・・・、80ドルで! いま100ドルしか持ってないんだ」
「カードでもいいわよ」
「自分のカードはキャッシュが出せないんだ」
「クレジットでもOKよ」
「ホントに? 日本の空港ではクレジットはダメって言われたよ。じゃあ、200ドル換金できますか?」
シャキーンとカードを差し出す。
「OK、確認してみるわ。… OK、これが200ドル分の、1400ケツァルよ」
「おぉぉぉ~~~~!!!! 金だ!キャッシュだー!!」
すごい安心感。
成田空港の換金所では出来なかったけど、さすがクレジットの国アメリカ。
自由の国だよ!さすがだよ!!これでもう何も心配いらない。

02

グアテマラへは、LAの人気自転車ショップ「オレンジ20」の代表TJと二人で向かっていた。
人気ショップと言えども店を切り盛りするのは大変のようで、旅の道中に色んな話をした。

TJ「LAでお店を始めたのも、この街に自転車を好きな人(自転車に乗る人)がたくさん増えればいいと単純に思ったからだし、店が大きくなって借金 が増えても俺はいい。もっともっと借金が増えてとんでもない事になったとしても、自転車に乗る人が増えるならそれでいいんだ。俺の給料はまだ出ないけど、 チェック(小切手)でサインが出来てるから何とかなる。」
Ken(以下、K)「TJって、熱くていい奴だなぁ。」

LAはサイクルカルチャーのムーブメントが一般に広がり始めたのが2009年くらいだという。BMXフリースタイルに、トリックピープル、色んな人がBFFの会場にも来ていた。
東京のシーンで言う2007年頃なのかな。
街で出会った多くの自転車乗りが「これからもっともっと、このムーブメントは大きくなっていくと思うよ!」と話していたのが印象的だった。

03

自分が乗ったグアテマラ行きの便はTACAという航空会社で、一旦グアテマラを通り過ぎてコスタリカへ行き、乗り換えて戻る。
夜中の1時出発だったが、ほとんど眠れないうちに朝食が配られ始める。自分の腕時計が電波時計だったため、電波が届かないのか時刻がさっぱり分からない。時刻を合わせても勝手に動いてまた戻ってしまう。
何なんだ、電波時計。完全に失敗した。

外を見ると、メキシコの海岸線の上空を飛んでいて、あまりの美しさにテンションが上がった。
詳しく知らなかったが、グアテマラは巨大なハリケーンに襲われたらしく場所によっては被害がとても大きかったそうだ。
LAでメッセンジャーたちと過ごしている間はニュースから遠ざかっていたので、完全に平和ボケしていた。
グアテマラに入って下を見ると、確かに河口に泥が広がっていたり、山間部では崖崩れが起きていた。
街の被害はどれくらいなんだろう?ちょっと不安になる…。

04

朝7時にグアテマラシティの空港に到着すると、送迎担当のアンドレスが「Welcome YANAKEN」の紙を広げて待っていてくれた。
荷物を車に載せて、いざ出発!…と思いきや、2時間後にメキシコシティから来るJose(ホセ、またはホヘ)を待つ、という。仕方ない。
市街地を観光して時間を潰し、ようやくJoseホセと合流。

初めて話すメキシコ人だ。
メキシコ人のホセ、アメリカ人のTJ、日本人の自分、そしてグアテマラ人のドライバー、アンドレス。この4人で目的地のパナハチェルを目指す。
何とも楽しい。

05

ホセ曰く、メキシコシティのバイクカルチャーはちょうど始まったところで、ブームが来てから1年半くらいとのこと。つい先日もBFF(Bicycle Film Festival)をやったとか。
そのBFFを『メキシコ方式』と呼んでいたが、どうやら作品のディレクターに直接連絡を取って作品を送ってもらい、5~6作品を上映したそうな。
なるほど、それでメキシコ方式か。
きっとまたBFFディレクターのブレントが、メキシコ開催を渋ったりしたんだろう。
けど行動力あるね、メキシコ人。いいね!
ホセは、今回の世界大会の主催者であるナディアの甥っ子だという。
ホセがスペイン語と英語ができるので、通訳してもらいながらアンドレスからハリケーンの影響について聞いてみた。確かにハイウェイも至る所で冠水したそうだが、3日で復旧したらしい。

06

グアテマラの人って、やたらと危ないタイミングで車道を横切るなぁ、と思っていたら、実は信号も横断歩道もほとんどない為だった。
せいぜい空港の周りに信号が数か所あるだけで、市街地を抜けると何百キロ先まで一つもなかった。ハイウェイは大型車もけっこう走っているし、車が途切れない。だから大人も子どもも、みんな駆け足で車の間を縫うように横断している。
車のホーンもあちこちから聞こえてくる。
なんてカオスな…。
これで成り立ってるんだから、すごい国だ。
よく事故が起きないものだ。
ハイウェイでは何ヶ所も崖崩れが起きていて、何とか片側通行はできているものの、完全復旧には相当な時間が掛かるだろう。

07

パナハチェルまであと少しというところで、完全に道が崩れている場所があった。車では渡ることができないので、そこは歩いて向こうへ渡り、別の車に乗り換えることになった。

自転車の箱と大きなメッセンジャーバッグ2つを持参していたが、車を停めるやいなや、近所の住民が駆け寄ってきて、持ってきた荷物を掴みながら「一つ5ケツァルで運ぶよ!」と言っている。
荷物を運ぶのが自分の仕事だし、まったく苦でもないんだが、泥の中を400mは進まなければならず、一人で運ぶと2往復はかかる。
5ケツァルというと50円くらい。
せっかくなので、少年にはバッグを一つ、そのお父さんには自転車の箱を頼んだ。

ホセが慌てて忠告してくる。
「ケン、目を離しちゃダメだぞ!あいつら荷物を持ったまま消えるぞ!」
TJも自分の荷物は全て抱えて歩いている。
「ええ~、ホントかよ?」と半信半疑だったが、そんな心配を余所に、彼らはちゃんと運んでくれた。

08

運び終わると、少年が
「10ケツァルちょうだい」と要求してきた。
「出た~!」と思い、少年には
「約束では5ケツァルだったね?約束は守らないといけないよ。もう何歳になったんだい?」と諭していたら、今度は自転車の箱を担いだお父さんが到着し、
「15ケツァル欲しい」と言ってきた。
(お父さ~~~ん!)

確かに大汗かいて大変そうだったし、お父さんにまとめて20ケツァルを渡したが、やはりグアテマラはそういうノリか。
結局夕方5時頃、空港から8時間掛かって、ようやくパナハチェルに到着した。

09

TJとホセは同じ宿に泊まることにし、自分は先に来ているLAのメッセンジャー連中とコテージに泊まる予定だったので、一旦解散。
宿に着くとすぐに自転車を組み上げ、壊れていないか確認。 無事で一安心。

この自転車は、ブリヂストンとnari/furiがコラボして生まれたニューバイク。
この世界大会が終わったら現地の人にそのまま寄付する予定で、その話をしたら快く提供して下さったもの。
それにまつわる話は、雑誌「自転車日和」2010年秋発売号にも掲載。

同じコテージに泊まるLAチームのダグラス、メリッサ、オージーたちもいて、久しぶりの再会に話しが弾む。グアテマラに来る前に立ち寄ったLAでは、ちょうどすれ違いで会えなかったが、ここのコテージを手配してくれたのも彼らで、本当に優しい連中だ。
彼らとは、2002年のコペンハーゲンの世界大会の時に会って以来のつきあいなので、8年の仲か。

10

なんだか頭痛と寒気がひどかったので、薬を買いに薬局に行った。
が、スペイン語なので言葉が通じず、何て書かれているかも全く分からなかったので、ジャスチャーで
「寒い寒い、頭が痛い、OHつらい!」とやって、差し出されたものを飲んで寝た。

仮眠から目が覚めると、頭痛や寒気はすっかり治まっていた。
さっきの謎の薬が調子良かったようだ。
さっそくネットに繋ぎ、メールチェックと日本に無事到着の連絡。
お腹も空いたので、何か食べに街へ繰り出した。
雨が降っていたが、寒さはまったく感じない。さすが中米、いいね!

 大会本部に行ってみると、すぐ横のバーでメッセンジャー50人ぐらいがワイワイやっていた。懐かしい顔ぶれがいっぱい。
「来るとは知らなかったから、驚いたよ!」って言ってくれる人も。

11

まだ大会前日だというのに、もう既に顔や体が傷だらけの奴がいた。サファだ。彼は2009年に来日した時にも骨折して、自分が救急車で連れて行ってあげた 奴だった。相変わらずの問題児だ。どうやらトイレのドアを壊したため、誰かにブン投げられたらしい。反省したのか、会った時はシュンとなっていた(笑)。 飲むと大きくなっちゃうんだろうね。大体、飲み過ぎなんだよ。(写真は2009年の救急車の中でパチリ)

再会を祝して何度も乾杯し、夜中の2時頃まで色んな話をした。久しぶりの国際交流に疲れも吹っ飛ぶ。
ちなみに、クリオシティをスタートさせる直前に行った2003年のシアトルを最後に、7年ぶりの海外遠征だった。

12

宿に戻ると、また別のメッセンジャーたちが中央の溜まり場に集まって話をしていた。この宿はバンガロータイプが10棟くらいあり、泊まっている面々は、 ポートランド、LA、シアトル、DC、トロント、モントリオールなどから来ていた。日本からは自分だけ。でもこういう国際交流がたまらなく好きだ。
ところで、日本人たちはどこに泊まっているんだろう?本部に行っても誰にも会わなかった。
日本の仲間との再会も、とても楽しみだ。