THIS IS A BIKE


『これは自転車です。』なんて普通に訳してはいけません!『A』のトレードマークに象られた“道”は、それぞれが走っていく道、それを彩る景色、その先にある未来‐自転車という相棒と生きていく人生
という意味が込められているのです。
このインタビューでは、様々なフィールドで活躍する人の自転車との出会いや、自転車と共にある人生、自転車を通したライフスタイルを通して、それぞれの『THIS IS A BIKE』を紹介していきます。

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PETER bagjack

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bagjack

長年ベルリンでメッセンジャーを経験してきたPeterやベテランたちによって生み出されたbagjack。
海外のメッセンジャーといえば、NYを連想する人が多いかもしれないが、ヨーロッパにもメッセンジャーはたくさんいる。ロンドン、コペンハーゲン、ダブリン、ブダペスト、チューリッヒ…。なかでもベルリンはメッセンジャーの数も多く、これまで世界のメッセンジャーカルチャーを牽引してきた街の一つであり、今年東京で17回目が開かれるメッセンジャー世界選手権大会も、ベルリンのメッセンジャーたちによって1993年に開かれたのが始まりだ。歴史的に見れば、ベルリンは東西冷戦の象徴であり、ドイツ統一の原動力となった街。自分たちで世界を動かそう、何かを生み出そうとするエネルギーは、この悲しい過去を乗り越えた人々だからこそ湧き出てくるのかもしれない。
bagjackのディテールへのこだわりや縫製技術の高さから、日本国内の多くのセレクトショップが取扱う。そのショップの多さから、確かな品質である事がうかがえる。

 

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日本に来たのは何回目?もうだいぶ慣れた?

9回目だよ。2004年が初めて。
そうだね、街の中心部ならもう地図がなくても走れるよ。

― ピーターのサインには、502っていう数字が必ず入っているけど、これはどういう意味なの?

僕がベルリンでメッセンジャーをしていた頃のメッセンジャーナンバーだよ。

 

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だいぶ前なのに、既に番号が502だったんだね。歴史を感じるなぁ。ちなみに、メッセンジャーになった経緯は?

1989年にベルリンの壁が壊されて、僕はそれをテレビで見ていた。僕は東ドイツ側に住んでいたから、ベルリンの壁崩壊後は、街の経済がどんどん変わっていくのを感じたんだ。そしてメッセンジャーの仕事があることを知って、1990年に僕もメッセンジャーになったんだ。ちょうど20歳の時だったね。

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「messenger」っていう社名がカッコいいよね。前はこのワッペンが欲しくてたまらなかった(笑)。ベルリンと言えばCMWC(cycle messenger world championship )が初めて開催された都市だけど、Peterはその1回目の世界戦は参加したの?

参加したよ。予選レースで落ちちゃったけどね。当時は200人くらい集まったかな。それと2回目のCMWCロンドン大会にも出場したよ。それ以降はしばらくCMWCから離れていて、2008年のトロント大会に久しぶりに出たんだけど、緊張したなぁ。
あとECMC(ヨーロッパのメッセンジャー選手権大会)のグラッツとチューリッヒにも出たことあるよ。

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bagjackが始まった背景は?

ベルリンのメッセンジャーも当時は皆オルトリーブを使ってて、アメリカ製の斜め掛けバッグがあるのは知っていたんだけど、なかなか手に入らないし、自分たちでもっと使いやすいものを作ろうってことになって、93年~94年頃に仲間のフォシーと二人で始めたんだ。最初はDirty Doubleっていう名前でやっていて、当時はDDバッグって呼ばれてた。
それから色々あって、DDバッグとしては95年に辞めて、フォシーとも解散して、それからしばらくは単独でバッグ作りに打ち込んだんだ。その後、97年にbagjackとして再スタートしたんだ。
最初は経済的にも大変で、スケートショップでも働いたりして、スケートシーンを通してお店をどうやってやりくりするかとか、取引先と知り合って、どうやって展示会をやったら良いかなどを学んだりしたんだ。今でもその時の経験がとても役に立っているよ。

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ピーターにとって、メッセンジャーバッグを作り続けていく上で一番気を付けていることって何?

ん~、常に外に向けてアンテナを張り、新しいものを取り込む姿勢を大事にすること、かな。

ピーターらしいコメントだね。バッグジャックがその言葉に集約されている。これからも面白いものをどんどん取り入れて、バッグジャックらしい進化を続けるんだろうね。コメントどうもありがとう。